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2026.4
タカキ ヒデトシ58
Interview
- Hidetoshi Takaki
- 住宅デザイン部
朝の光が窓の隙間から静かに差し込み、部屋の奥で柔らかな布がそっと揺れている。
薄絹の幔幕に触れるたび、折り重なった端がひらりと跳ね、光は布を透かして隙間を抜け、
小さな影を落とす。
その陰影は、まるで呼吸しているかのように、
部屋の空気を柔らかく満たしていく。
この布を、ただ「 カーテン 」と呼んでしまうのは、どこか気がひける。
昔の人は、これを《 幔幕( まんまく )》といった。
『 幔 』は横へ張って間をととのえる布、
『 幕 』は上からそっと覆いかける布のこと。
その二つが折り重なるようにして据えられると、
空間は、声をひそめたようにやわらかく仕切られ、
輪郭までもが、布の気配に導かれて静かに立ちあらわれる。
光と影が、布越しにそっと行き来する ――
【 日本の意匠 】がようやく息をしはじめるのは、そんなときである。


昔の人たちは、布というものを、ただ掛けて済ませようとはしなかった。
色を変え、質を吟味し、きわを少しずらして重ねたり、そっと貼り合わせたり、
まるで布の中に息の通り道をつくるように、手をかけた。
一枚の布をどこへ据えるのか、その端をどう落ち着かせるか。
重なりの厚み、段差のわずかな影、色の寄り添い方まで気を配るうち、
空間には、奥行きともつかぬやわらぎが立ってくる。
そうした、布のおきどころによる静かな工夫を、
いつからか人は【 布置き意匠 】と呼ぶようになった。

宮廷の女たちがまとう『 十二単( じゅうにひとえ ) 』ほど、
布置きの心をやわらかに示すものもない。
薄い絹から、いくらか重みのある布までを幾重にも重ね、
襟や袖の端を、気づくか気づかぬほどにずらして着る。

そうすると「 光のさし方 」や「 ふとした視線の角度 」によって、
色と影がそっと寄り添い、また離れていく。
歩くたび、布の端がわずかに揺れ、
その重なりのあいだから差し込む朝の光が、
身のまわりの空気にまで奥行きを添えてくれる。

十二単は、ただの衣装ではない。
布の置きどころ、重ね方、色の選びよう ――
そうした細ごまと心くばりまでも含んだ【 日本の美意識 】そのものなのである。
幔幕 は、その場そのときの用向きに合わせて、
いくつものかたちに姿を変えてきた。
- ・天井からそっと吊り下ろす『 帳( とばり )』は、
風をひとすじ含むと、ふわりと揺れて、空間に淡い輪郭をつける。 - ・外をゆるく覆う『 幌( ほろ )』、
- ・折りたたんで場を仕切る『 引帷( ひきとばり )』、
- ・母屋と庇とのあいだに据えて、
光や人の気配をほどよく通す『 壁代( かべしろ )』。 - ・支柱に掛けて折りたためる『 几帳( きちょう )』は、
布一枚のやわらかさで、
人の暮らしにひそやかな私的な空間をつくりだした。
そして、壁代を衝立のように立て、その上に畳を据え、
三方に帷をめぐらせれば、『 帳台( ちょうだい )』がしつらえられる。
そこでは、人はひっそりと筆をとり、思いをととのえ、
書きつけることで、自身の内を確かめたのだろう。




そうして生まれたものが《 帳面( ちょうめん )》である。
けれど今の私たちは、それを軽やかに『 ノート 』と呼んでしまう。
いつしか “ 帳 ” に宿っていた、布のたわみや重なり、
ページの隙間から差す光の気配 ――
そうした空間の響きから遠ざかってしまった。

名前が変われば、ものの在りようも少しずつ変わる。
帳面 という語には、折り重なる記憶の手触りがあり、
静かに積み重ねてきた文化の息づかいがあった。
それを忘れてしまえば、私たちは、
手のひらでそっと感じてきたはずの昔日の温度を、
どこかに置き去りにしてしまうのかもしれない。


ここで、そっと話を現代の照明のほうへと向けてみたい。
建築化照明の世界でも、布を重ねるように光を扱い、
屈折やにじみを見きわめることが、やはり欠かせないのである。
たとえば ――【 まくちゃん 】という器具がある。
幕板を用意せずとも、そこに置きさえすれば、
やわらかな間接光がふっと立ちのぼる。
そんな気安さを持ちながら、
どこか古い知恵の名残りのような顔つきをしている。
けれど、もとは《 流し元灯 》からの転用であった。
呼び名の響きは、どこか愛称めいていて、
「 ヒデちゃん 」と呼びかけられるときのように、
相手がすこし照れながらも距離を縮めようとする、あの気配に似ている。
しかしその名は、実のところ、
建築化照明が積み重ねてきた長い道のりの中から生まれたものだ。
かつての間接照明には、蛍光灯の器具がよく使われていた。
寿命が長く、一本が一二〇〇ミリほどもあるので、
器具の数を抑えて広く照らせる利点があった。

けれども、蛍光灯には『 安定器 』がどうしても必要で、
それをランプの下に抱え込まねばならず、
器具そのものの背丈は自然と高くなってしまう。
しかも両端にソケットが控えているため、
器具どうしを突き合わせれば光がぷつりと途切れ、
途切れを避けようと思えば、互い違いに置くほかなく、
場所ばかりを取ってしまう。
光を隠す幕板も、いやおうなく背伸びをさせられた。
この形を《 トラフ型 》と呼んだ。
トラフとは溝や水路のこと。
光がその溝に沿って、ひっそりと流れていくように見える ――
そんな素朴なかたちから生まれた名である。
[ トラフ型 ]

やがて、その後に現れたのが《 チャンネルトラフ 》であった。
チャンネルとは、筒状の通路や溝のこと。
ランプの側面に、
そっと寄り添わせるように安定器を据えることで、
光の途切れは抑えられ、器具の高さもほどよく沈んだ。
横幅は少しばかりふくれたものの、それでもなお、
間接照明の提案としては、
息をのむほど画期的なものであった。
[ チャンネルトラフ ]

さらに時が進み《 シームレスランプ 》へと姿を変える。
ソケットがランプの真下へと移され、
器具同士を突き合わせても、光はぷつりとも切れない。
細い線のように続くその光は、
まるでひとつの布をたぐるように滑らかで、小型化も手伝って、
幕板の高さも、いつしかそっと緩んでいった。
[ シームレスランプ ]

そして、LEDが世に現れたのである。
器具の背丈はぐっと低くなり、トランスも小さく、
ソケットさえもいらなくなった。
「 もう、幕板などなくても、間接照明はできるのでは 」
ふと、そう思ったのだった。
目を留めたのは、かつての《 流し元灯 》
オープンキッチンの吊り戸の下に、ひっそりと据えられて、
リビングの側からは器具の側面しか見えない。
「 これをひっくり返せば、間接照明になる 」
そう考えたとき、胸の奥に小さな喜びが広がった。

流し元灯
こうして生まれたのが【 まくちゃん 】である。
器具の高さは、わずか三十五ミリ。幕板は、もはや不要であった。
《 幕板いらずのチャンネルトラフ 》というあだ名を縮めて『 幕チャン 』
その愛称をそのまま商品名にしたのだった。
さて、話をもとに戻そう。

まくちゃん
幔幕 をいくつもの段に仕立て、色を違えれば、
寺社で見られる五色の『 斑幕( はんまく ) 』となる。
青・赤・黄・白・黒 ―― 自然の五行を映した色が、
風に揺れるたび、光を透かして、
ほんのわずかな祈りのようにゆらぐ。
この 斑幕 こそ、のちに歌舞伎で用いられる
『 定式幕( ていしきまく ) 』の始まりであった。
思えば、あらゆる舞台には、
いつでも一枚の幕があったのだ。
布はただの仕切りではなく、光と時間を映し出すための、
最初の舞台だったのかもしれない。
中村座系 定式幕
松竹系 定式幕
僕が《 建築化( 間接 )照明 》を考えるとき、心のどこかで手放さずにいるのは、
この【 本歌取り 】と【 見立て 】である。
本歌取りとは、過ぎた意匠を写すのではない。
その形や心根を受け取り、
いまの空間で息づくように組みなおすことだ。
かつての日本建築や宮廷空間の幔幕や帳台では、
布の重ね方や襞の寄せ方ひとつが、朝の光を、
どのように陰影を生むかまで計算されていた。
ほんの数ミリのずらしが、
奥行きや拍子や、静かな華やぎをつくった。
それをいまの照明に置きかえるなら、
布ではなく天井そのものに光の幅を与えたり、
壁と天井の際から、
春の曙のような淡い光を流したりする。
古歌の一句を借り、新しい歌をつくる ―― これが本歌取り。
典型的な本歌取りの代表は、
尾形光琳の 『 燕子花図屏風 』と 『 八橋図屏風 』

【伊勢物語】第九段の場面
「 から衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる
たびをしぞ思ふ 」 それぞれの句頭の文字をつなげると
「 かきつばた 」 となる。

ここから、
『 燕子花図屏風 』と 『 八橋図屏風 』に昇華させていった。
そのためには、幕板の高さや形、
光が届く寸法を一つずつきわめねばならない。
そうして初めて、空間の “ きわ ” が立ち、
建物そのものの陰影が、ことさらに主張するでもなく浮かび上がる。
光は静かに揺れ、視線は自然に誘われ、空間はひとつの詩のように息づく。
ここで忘れてならないのが “ 陰影 ” のちがい。
《 陰 》は、もの形の奥行きを知らせるカゲであり、
そこにある立体を教えてくれる。
『 影 』は、光を受けたものどこかへ落とすもので、
時として思わぬ方向へ伸び、空間を乱すこともある。
陰 は空間を整え、影 は、ときには空間を乱す ――
その違いを心得ながら光を扱うことで、
ようやく空間に深みと拍子が宿るのだ。
そこに、さらに【 見立て 】の手法を添えるとよい。
ものをそのままに眺めるのではなく、
心の奥にほかの景色や意味を重ねてみる。
樹木のライトアップだけを考えているから、
建築の汚い影を生み出す。
建築の影で、三平方の定理を照明で証明する。
机の上のリンゴを、小さな地球のように思い描き、遊ぶこともあれば、
空にたなびく雲の形を、そっと動物の姿に想いを馳せることもある。
見立て というのは、目に映るものや想像の力を通して、
日常の世界の見え方をほんの少し豊かに塗り替えてしまう、
【 日本ならではの表現の方法 】なのである。
日本にはもうひとつ『 カギリ 』という大切な手がある。
湿り気の多い日本の空気の中で育まれ、襖や屏風、欄間といった、
“ 中間の布きれ ” のようなものによって、空間を分ける。
「 限り 」の字のとおり、見える範囲をそっとおさえ、
“ 界 ” をほどよく区切ることで、その場所の気配が立ちのぼる。
屏風や暖簾、衝立は、
視線をわずかに押さえ込むことで奥行きを暗示し、
わずかな空きの中に余韻や静けさを生む。
すべてを見せないからこそ、一つひとつが際立ち、
空間の全体の秩序と物語性が、ふっと立ちあがるのである。
歌舞伎では、場面が変わりぎわに役者が『 見得 』を切る。
あの一瞬、役者がじっと身を止め、観客に、
「 ここで一度、息を置け 」とでも言うように場面が切り替わる。
観客はその瞬間を胸に刻み、拍手や声で応える。
物語は、断ち切り、
つなぎ直すことで、流れを失わずに進んでいくのだ。
空間もこれと同じで、もし カギリ のない天井であれば、
床の家具に合わせて照明器具を置くしかなく、
天井には無秩序な光の点が散り、空間の調子はたちまち乱れてしまう。
歌舞伎でいえば、場面を切り替えずに、
だらだらと演じ続けるようなものだ。
観る者はどこを見ればよいのかも分からず、
物語の筋もぼやけてしまうだろう。
だからこそ、建築化照明では、
段差や隙間といった カギリ を天井にそっと仕込み、
秩序を段階的につくっていく。
光の位置と天井の段差が整うと、住まう人、訪れる人も、
空間を順々に味わい、一場面ごとの奥行きや静かな美しさに、
自然と気づくようになる。
それは、建築の遠近法をたどりながら、
光と影の拍子を追いかけるような、ひそやかで、
しかし豊かな時間である。
光はゆるやかに揺れ、陰影をえがき、視線をそっと導く。
空間全体がひとつの詩のように息づき、
遠い昔の感覚と現代の建築が折り重なり、
静かに呼吸をはじめるのである。

- 設計:
- 長澤 徹
ポーラスターデザイン一級建築士事務所https://www.polarstardesign.com - 撮影:
- 本間 匠
- 照明計画:
- タカキヒデトシ58
- 営業担当:
- わたなべユッキーエ(埼玉ハウジング営業所)
詳細はこちら
こうした空間の手触りは、古くから【 日本の意匠 】に息づいてきた考え方とも重なる。
祭壇の前に置かれた『 几帳幕 』や、ひらりと舞う『 花鳥文様 』
最も格式の高い畳の『 繧繝端( うんげんべり )の文様 』
これらは形そのものより、
心の中にふっと結ばれるイメージと、
そこに工夫を凝らすことで生まれる。
それこそが、本来の《 意匠 》である。
意匠とは、
今の言葉でいえば【 デザイン 】だが、
この語の奥には広い広い余白がある。
「 意 」とは単なる意味ではなく、
“ こころ ” そのものを指すからだ。
日本の文字における「 意 」は“ 意識” のことで、
室内にいながらも自然の気配を感じ取り、
奥行きや陰影をたぐり寄せる心の働きをあらわす。

- 設計:
- 長澤 徹
ポーラスターデザイン一級建築士事務所https://www.polarstardesign.com - 撮影:
- 藤本 一貴
- 照明計画:
- タカキヒデトシ58
- 営業担当:
- 石田ミーオ( 施設営業部 / 施設営業3課 )
建築化照明とは、
ただ明るさを定めたり暗さをつくったりする行為ではない。
建築と光の、昔と今の、
『 間際 ( まぎわ ) 』をつなぎ合わせる一つの編集である。
空間を設計するというのは、
今昔物語を静かに編み直すようなもので、
古いものを扱いながら現代に息づかせ、
そこに住む人、訪れる人の心に、
新しい感覚をそっと芽生えさせる仕事でもある。
日本の デザイン には、いつも “ キワ ” が立つ。
キワ が立たなければ「 きわどい 」面白さは生まれようがない。

- 設計:
- 長澤 徹
ポーラスターデザイン一級建築士事務所https://www.polarstardesign.com - 撮影:
- 本間 匠
- 照明計画:
- タカキヒデトシ58
- 営業担当:
- わたなべユッキーエ(埼玉ハウジング営業所)
詳細はこちら
若い人たちは、どうか、
【 本歌取り 】や【 見立て 】の手を借りてでも、
その瀬戸際をそっと踏みしめる勇気を持ってほしい。
そうして工夫を重ねていけば、
うまく言葉にならない『 ノート 』の意味が、ふとした拍子に胸の内でほどけ、
まるで新しい《 帳面 》をひらくときのように、そっと形を結ぶはずである。

【 刹那 】とは 「 瞬間 / 一瞬 」 という意味。仏教での 《 時間の最小単位 》としての概念。梵語 ( サンスクリット ) : ksana( クシャナ )
